vol.3「田根剛と語らう」 ある日の午後、談話室にて。

ユニオンとの出会い

国立競技場の、例の『古墳』の建築のことを少し聞かせていただきたいです。
込められた思いも含めて、なぜ『古墳』になったのかとかを。

はい。あれはまず安藤忠雄さんが審査委員長だったのですが、2020年のオリンピックを日本でやるために、「環境問題などがあるなかで、21世紀の日本独自の競技場を作りたい」というコンペ企画側の強い思いがありまして。でも建築をやっていたら誰でも参加できるわけではなく、参加するための条件というものがいくつかありまして、まずその条件の1つが世界的な賞、例えばブリツカー賞とかのゴールドメダルを持ってないと参加できないという建築業界史上、前代未聞のしばりがあって(笑)。でも、僕は元々サッカーをやっていたので、サッカーの聖地でもある国立競技場をどうしてもやりたかったんですね。諦めきれなくて。オリンピックというよりも、国立競技場を建てるのがすごいやりたかったので、どうにかしたいと思っていたら、「1万5千人規模の競技場を設計したことがあれば参加可能」っていう別の条件があったので、自分はその経験はなかったんですが、すぐさま経験のあるフランスの事務所4社ほどに連絡しまして。時間もなかったんでその時は勝手に先走って持ち込みアイデアを作って、「こんなスタジアム作りたいので一緒にやってくれ!」と言って(笑)。そのうちの1社が渋々、まあしぶしぶじゃないんですけど(笑)、賛同してくれまして。やろうってなりました。

なるほど(笑)。

それで、明治神宮の外苑に東京オリンピックの60年に建てられた、すごくいい、日本らしい穏やかなのんびり観戦できる競技場があったんですけど。それを取り壊して新しいのを作ろうっていうことが決まった際に、自分としてはもともとあった場所の記憶を継承させたくて。その土地やその建物がそこにあった意味をしっかりと調べておかないともう50年以上経った時にまた忘れさられるものになるのではないかと思いまして。

へえ。

明治神宮自体は内苑として、信仰の場として、すごく歴史が折り重なったいい場所になっていますよね。それに対して外苑はなんとなく、GHQが入ったりしたことでパッチワークみたいにいろんなものが建っています。なので、競技場を作るだけではなくて、そこにもう一度、内苑との連続性を持った新しい建築を作るにはどうしたら良いかということを考えていました。さらに東京のど真ん中であるという意味も含めてどういうものを立てたらいいかって考える中で、オリンピックというのは世界における最大規模の祭典なので、世界に向けて日本を発信しないといけない。じゃあ古代の日本で一番大きな建物は何かっていうと『古墳』ですよねって行き着きまして。日本のピラミッドである『古墳』という世界最大規模の建造物を世界の祭典に合わせて日本の象徴としてもう一度作ってみようと思いまして。

いいとこまで行きましたもんね!?

はい。ファイナル選考まで残りまして、もしかしたらいけるんじゃないかって思ってました(笑)。結構盛り上がったんですけどね。途中で喜んでちゃだめだなって(笑)。

なるほど(笑)。

エストニア国立博物館

海外で関わられてきた他の実績で、ご自身で思い入れのあるものはどちらになりますか!?

一番はやっぱり、エストニアの国立博物館になりますね。10年ほど前なんですけど、当時ロンドンにいた時に人生で最初に出した国際コンペだったのが、エストニアというバルト三国の国立博物館という、ナショナルミュージアムのコンペで、それがいきなり一等を獲ってしまいまして。

あらためて聞いてもすごいですね。ロケーションは空港の土地でしたっけ?

旧ソ連の軍用滑走路ですね。

ああ、軍用滑走路!

ソビエト連邦時代の軍用滑走路の近くに、新しいミュージアムをつくるという案件でして。もともと滑走路近辺は敷地としては指定されていなかったのですが、滑走路を延長したような部分に建物を建設するという、滑走路そのものを取り込んだ案を考えました。一部反感も買いましたが、国にとっては負の歴史を抹消せず、継承した上で、これからの未来を向けてポジティブなものをつくっていこうというコンセプトでして。

ぜひ一回見に行きたいなと思っているんです。

あ、ほんとですか。ぜひ。自分が建てているのでどういうものか分かってはいるものの、毎回現場に行く度に、「すごいな、この建築は。」って感動するんですよね(笑)。オープンしてからも、3回くらい行ったんですけど、その度に思います。

ははは(笑)。
スケールが大きいですもんね。
滑走路もうまく生かしながら建てられてますよね。

そうですね。町からはすごく近いんですけど、滑走路自体は手付かずの土地で、郊外で何もないところでして。滑走路を延長したような、350メートルの直線の建築なんです。

へえ。四季によってまた雰囲気が違うんですよね!?雪が積もる真冬の時はすごいということを以前お聞きしてたかと。

それはもう、本当に真っ白な世界で。感動しますね。夜に行くと本当に真っ暗闇に光のかたまりがぼうっと浮かぶんです。

ほぉ~、そうなんですか。すごい行くのが楽しみですね。

タイミングが合えば、ぜひご案内させて頂きたいです。

しかし、海外ではそういう思いを採用してくれるっていうのがそもそもすごいですね。日本の場合はもしそのような提案されても、それが採用されるかどうかって正直採用されるのはなかなか難しいですよね。

やっぱり施主に勇気がありますもんね。建築家は世界中どこでも「こういうことがやりたい」というチャレンジ精神は旺盛なんですけど、それを「やりたい」って共感して実現させてくれる施主がいるかっていうことが大事で。

日本の建物って小さくなっていってるじゃないですか。昔の、迎賓館などを建てていた時にはものすごく個性のあるものを建てていたと思うのに。財閥が建てた迎賓館といったらすごかったもんね、お金もかけていて。見て楽しめる。そういう建物が今だんだんなくなっていて、器だけ作っている感じになってしまっていますね。

そうですね。思いが強い方はいても、それを支える周りの人が急に引き止めたり、足を引っ張ったりとか、ネガティブな方向に走ってしまっていて。安心安定志向になってしまっていますよね。

そうですよね。少し話戻るんですけど、ミュージアムを作られたときに向こうの施工業者とかってどうでしたか?

施工業者はエストニアのケースではナショナルミュージアムだったので、基本は1万平米規模以上の建物っていうのは設計も施工も、入札で国際コンペしないといけないというEUのルールに則ってました。入札もヨーロッパ圏内であればどこの会社でも参加できるんですけど、やっぱり地元にいる業者さんのほうが安いですし、ナショナルミュージアムということで国の税金を使っていることもあるので国のお金の中でやれる、現地の業者が選ばれやすいですよね。

思い通りにやり取りできました?

いや~もう~…ですね(笑)。ははは(笑)。壮絶な現場でしたね、やっぱり。真冬のマイナス20度の中でコンクリートを打ち付けるっていう作業がまず壮絶でしたね。36ヶ月間現場が止まらないくらいかなりスピード感のあるスケジュールの中、しかも真冬の中。養生して下から暖房を炊いてですね、水分が固まらないようにしながら、鉄筋を、組んでいくんです。これだけ技術が進んでいても鉄筋コンクリートは手で作るんですよね。本当に世界どこにいってもあのコンクリートが同じように使われているんだって感動しましたね。

結局ヨーロッパでもその辺は一番遅れてるんじゃないですか?

ええ。人の力が建築を作ってきたんですよね。

日本ではだんだん若い人が特に現場の重労働をやらなくなっていますよね。日本の場合、若い年代に現場の魅力を伝えるのは難しいですよね。

そうですね~。
たった50年でこれだけ時代が変わってしまったので、これまで続いてきた文化が途切れてしまうような流れはちょっと困りますね。

いかにも京都らしい京都ではなく、次の時代の京都へ

今大阪にいらっしゃいますが、今回、京都にご用事がおありだと伺いまして、 京都の建築に関して何か思われてることはありますか?

京都は4年位前からいくつか仕事を頂いたりしていて、京都に通うたびに、建物が他の日本の地方とはちょっと違うなと感じますね。普通に京都駅とか町中歩いてるだけでも、職人さん方の意識が高いので、線がピシッとしてますね。柱の立ってる線も細くて、繊細なんだけど凛とした建物が多いので、京都のクオリティって別格だなと行くたびに思います。ただ、大通りがどんどんどこにでもあるような町並みになってきていて、京都らしさがどんどん消えてしまっているように感じるのは、かなり懸念していますね。関わってる京都のプロジェクトでも、京都らしい格子や庇をつけたりして、いわゆる守りに入る景観ではなくて、どうにかして次の時代を考えていくための京都の町並みにっていうのを考えてやっていきたいなって思ってます。

50年、100年先を見据えてですね。

そうですね。条例にさえ沿っていれば、あとは好き勝手やっていいんでしょ?っていう考えで造られてるものが多く見えてきていまして。色んな京都らしさの工夫は施されてはいますが、ぜんぜん違うなって思います。景観を守るためにやれば後は何でもいいでしょって言う態度の景観なので、空っぽな違う感じになっていますよね。

京都自体は都市としてヨーロッパみたいに景観に厳しくないんですか?外観を変えてもそんなに大きな問題にならないのですか。

外観で言うと…、例え京都であろうとも、やっぱり日本の景観のルールはヨーロッパに比べて全然甘いですね。

そうなんですね。

そうですね。よく例えて言っているのが、日本の法規は厳しいんです。これはやっちゃダメとか、ダメなことはたくさん書いてあるんです。ということは逆に、ダメじゃないなら「これはやっていいんじゃないか?これをこう解釈したらこれでもいけますよね?」とかいう発想が生まれ、協議で結構通ることが多いんです。ヨーロッパの場合は、「窓はここからこの大きさまでなら変えていいですよ」とか、「タイルはこの三色の中からなら使っていいですよ」とか、イコールそれ以外のものは絶対ダメだっていう法規なので。やっていいことは書いてあるんですけど、それ以外のものは協議もできないくらいだめというものなので、ぜんぜん違いますね。

外観もなんですね。

日本だと景観法というものがありますが、景観という言葉のニュアンスの伝わり方がちょっとまずいなと思っていまして。いい町並みというのはやっぱり統一性があるんです。家が整ってるとか高さが整ってるとか。

今回僕もイタリアに行ったんですけど、町ごとで色が違いますよね。

そうですね。
特色がありますよね。土地の統一感がすごいいいですよね。

日本人も昔は大事にしてましたのに。

そうですね。地元の素材でつくるから、それなりに整った状態につくることはできますが。寒い町は窓を小さくしようとか、庇を高くしようとか。

時代時代で、また土地によって窓の形も変わってますからね。

はい。ちょっとだけ違うものつくるという、そういうのはいいですね。

日本は古いものすべて壊してって流れで。海外はあんまり変わらないですよね。特にニューヨークとかは変わらない。

ええ。ちょうど先週ニューヨーク行ってたんですけど、ニューヨークは歴史をすごく重んじていて、すごい重厚な歴史がちゃんと積み重なって景観として残っているからいいですよね。

確かにそうですね。ニューヨークは建物見ていても面白いし、我々のこの仕事柄目に付く金物とかもやっぱりいいものが揃っていて。すごいなって思いますね。

はい。鉄のインダストリアルはすごいですよね。

今ニューヨークの廃線になったところを公園にしている、あの公園(空中公園「ハイライン The High Line」のこと)なんてすごいですよね。もし日本だったらすぐ撤去してしまうんじゃないですかね(笑)。

そうですね。やっぱり過去の人達がつくった古い建造物も、それをつくるために莫大なエネルギーを使っていたわけで、古くなったからといって簡単に壊すのはやっぱり良くないですよね。日本に来る度に思うのは、長い歴史をかけて人々がつくってきたものを簡単に時代が壊すというのがまかり通っている、これはちょっとどうにかしたいなと思います。

一方で神社やお寺とかは伝統を継承されていますけどね。そういった大切な部分も日本はありますから、その辺をもう少し生かしてやればいいんじゃないですかね。

そうですね。建物というのは工業製品ではないので、ちゃんとつくった後に使いながら直したり、補修したりができますよね。モノなので壊れるし、傷むんですけど、また直して使えるという良さがある。まずそのためにちゃんと図面もあるし、前から技術を培ってきたので、それをちゃんと継承してるからまたつくることができるという良さを忘れちゃってるんじゃないかなと思いますね。

例えば、先日の熊本城が壊れましたよね。その時にあらためて思ったのですが、過去の、武士の時代の建築ってすごい建築技術ですよね。近代寄りの、後で直したところが壊れていて、歴史的には昔の武士時代に造ってたところは壊れてないのを見ると、その時代の技術はやっぱりすごかったのだと思いますね。

そうですね。

建築が果たすべき使命とそれを生み出す楽しさ

後は、田根さんが関わられてる、京都の『四季十楽』さんの門扉が印象的なんですけど。 あのブロンズの門扉のデザインができたことについて教えていただけますか?

『四季十楽』という京町家が10軒立ち並んでいるところをリノベーションされたプロジェクトがあり、ホテル運営をされる方々からご依頼をいただいたんですね。オープンを半年後に控え、運用をするために物件を引き継がれ、直せる部分はきれいに直されてるんですけどまだまだこの状態ではいけないなということで、「ちょっと来てください」と呼び出されて、それから実際に拝見しに行くと、中は直ってるんですけど…という状態で、これを全部今からやり直すには全然時間も足りないので難しいですねって言いながら。「なんかやってくれませんか」って言われて(笑)。それで、10軒の町屋が5軒づつ並んでる路地に案内されて、「ここの門をお願いできないですか」って言われまして。「一応パリ在住なのに門だけかあ(笑)」と思いながらも。でも、「門も…やりますっ!」と言って(笑)。門をとりあえずデザインすることになったので、扉の門というのもそうなんですけど、京都では家紋を人が住んでる一つのしるしとして使われていたので、そういう『しるしとしての門』を現代的に表現できないかなと思いまして、ああいう門を作るのを進めていたら、ちょうどホテルの入り口の横にあったサロンもやってくれないですか?って急に仕事が増えたんですよね。

それはよかった(笑)。扉だけじゃなくなったんですね。

はい(笑)。それでサロンの方もやらせていただくことになりまして。他の居室がすごいシンプルだったので。京都ってもっとこう、そんなさっぱりしたところではなくて、もっと湿っ気の多い夜の妖艶な感じとか、江戸の町屋でもあったので、そういうところの裏の世界の魅力を引き出したかったんです。

最初見たときはびっくりするでしょうけど、徐々に溶け込んでいい感じになっていくんでしょうね。

すごく落ち着くみたいで。空間が真っ赤な古代色で普通は変なんですけど、この間泊まらせていただいたんですけど、結構長居しても違和感ないんですね。庭とコントラストが出てて、すごい不思議な空間ですよね。

僕も時々思うのが、あのポンピドゥーセンターについて、パリの街並みの中にこんなんよう建てたなあて。それが今やあれがなかったら逆にあそこが、流行らないというか。

そうですね。フランス人のいいところですね。当時ボロクソ言っていたのにちゃんと使いこなすっていう建築。それで文句だけ言って使えないから壊してしまう文化ではなくて、ちゃんと使うっていうところは偉いですよね。

最初はそうかもしれないけど、だんだん溶け込んでいって。これが逆になくなったら何の変哲もない場所になってしまう。やっぱりそういう塩梅も大事でしょうね。あんまり最初から溶け込んでしまうと今度はチープになってしまう。何年か経ってしまうとね。

どっかから持ってきたものを新しく作りかえる感じになっちゃいますもんね。

うん。

この間聞いた話なのですが、パリにある大御所の画家の方がいらっしゃるんですけど、ポンピドゥーセンターができてからもう40年経つんですけど、「私は絶対行かない」って言ってましたね(笑)。こんなに頑固なんだって思いました。「ポンピドゥーには一生いかない」って(笑)。何かが気に障ったのか、違うのか、そういう感覚もすごいなって思いましたね。

(笑)。 パリとかあの辺、建築に関して結構冒険しますよね。

すっごい保守的なのにチャレンジ精神があって、両極端ですよね。

古墳じゃないけど。建物全部芝生にされてる建築がありますよね。あれこそ古墳かもしれないですよね。あっちが田根さんの古墳より早かったですか。

そうですね(笑)。しかし、やっぱり建築がいいと街が元気になりますよね。

ええ。コンピューターだけでも人が呼べる時代ですからね。

やっぱり使う人との関わり合いが楽しいですしね。

ええ。建物のデザインの奇抜性があると、中の人も新しいことやっていたり、なんか新しいことが出てくると思うんですよね。シリコンバレーの建物って結構面白いじゃないですか。だからアイデアが出てくるんじゃないかなって気がするんですよね。

建築の場合は未来を創る仕事だと思っているので、ただ出来上がった時だけではなくて、50年、200年経ってでもそこに使う人たちがちゃんといてくれるというものをつくれるというのはなかなかない仕事だと思うので、未来を創ってなきゃいけないと思うんですけどね。

そういうところが建築って楽しいよね。

面白いですよね。エストニアができたときに、館内のスタッフの方から聞いたんですけど、ナショナルミュージアムなので、エストニア全国区の小・中学生が義務教育で、必ず観に来るらしいんですよ。それを聞いた時に、エストニアのこれからの人たちにとってこれが自分たちのナショナルミュージアムになるんだって。これから全員が観に来る建物だと思うとすごい大きな仕事だなと思いますね。

海外からもたくさん来ますからね。そういう意味ではやっぱり大きな観光資源になりますし、建築によってその中に提示してるものを見て触発されますもんね。

そうですね。そこから学んで、リスペクトすることもあります。

これからも刺激になる建物をぜひいろいろ建ててください。

厳しい時代が来ると思うのでここが踏ん張りどころですね。

ユニオンのサローネ出展を、田根剛ならどうする?

これからユニオンを海外に展開させていたきたいと考えた時に、例えば来年創業60周年を迎えるにあたってミラノサローネへの出展などを考えているんですが、田根さんも以前に話題なったCITIZENさんとかの実績がおありなんですけど、もしミラノサローネに出展するならユニオンはどういうところを訴求したらいいと思われますか?いきなりな無茶振りですが(笑)。

(笑)。僕もしっかりと勉強したわけではないですが、日本のメーカーに共通して言えるのが、すごく分かりにくいってことなんですよね、外国からしたら。

へえ。分かりにくいんだ。

ええ。良い意味でも悪い意味でも普通の見た目のものが多いので。逆にヨーロッパメーカーだったら「自分たちはこうやっているんだ」というのをしっかり発揮するためにモノづくりがあるので、あまり量産せずに、数が少なくてもこれは私たちのアイデンティティだっていうものを作りたがってはっきりしているんで、わかりやすい。一方で、日本のメーカーの製品の見た目は普通なのだけど、それを裏付ける技術はすごい。品質管理とかもすごくしっかりしていて、例えば日本の車が一番分かりやすくて、壊れにくくて安定していますよね。品質がいいから日本の車は世界でちゃんと通用している。そこをどうやって伝えるか考えないと、ああいう場で結果を出すのはなかなか難しい。

おっしゃったように、ユニオンも50、60年とこだわってきたものを見てもらって共感を得るような製品を作らないと、いろんなものをばーっと出してもその会社のことは分からないですよね。そういう意味で今回は絞ってやってみた方が良さそうですね。

何をやっているのかはっきりした方が伝わりますよね。

そうですね。
前にユニオンが出展したのは10年くらい前ですかね。
今思うとあの時はある意味失敗しましたね。話題性はありましたが、その後に続かなかったんです。やっぱり今回は後に続く何かを残していかないと意味がないと思うんですよね。新聞か何かで取り上げてもらったけれども、その後は話題にも上がらず終わってしまったんです。

これはヨーロッパ的な見方なんですが、1回で伝えるなんてことはほぼ諦めたほうがよくて、続けて初めて伝わっていくもので、1、2回で理解してもらおうて考えは甘くて、何回か言い続けて、これはなにができるのかってのを伝えていくので。派手さは紙面を賑わしたりできるけど、やっぱり物の価値は時間をかけないと伝わらない。

ある程度長期的な戦略は考えないといけないね。
愚問だとは思うのですが、話題性は狙いながら考えているんですか?

もちろんCITIZENのケースも話題性を狙ったわけではないです。狙ってるときというのは狙ってるってことが分かりやすくて端から見ても分かっちゃうんです。これは何を考えてやってるのかって見る人が見たらわかっちゃう。本気でやってるものはやっぱり見ててすごいなあって思いますよね。CITIZENも何を伝えるのかっていろいろ考えたのですが、光を時間に変えるっていう新しい技術を時計の能力としてつくられているんですけど、電池とか色んな光さえあれば時間が動くっていうソーラーパネルみたいなものをつくってて、それを伝えたいってことで、エコドライブっていう名で、ドイツ人の方が名付けられたらしいんですが、そのままでは伝わりにくいっていうのがありまして。光を時間に変えるってすごくロマンのある話ですし、哲学的な話になるんですが、時間っていうのは光なのかって、何万光年っていう宇宙の世界で光と時間っていうのはもしかしたら時間は光であって光は時間じゃないかっていうコンセプトを導き出したので、light is timeっていう「光は時間」っていうコンセプトにしてそれを表現したという感じです。

そういうコンセプトの発想が面白いですよね。
深層というか一つの物事をモチーフに、題材の根本的なものが何なのかっていうのを辿られるやり方っていうのが田根さんの一つのスタイルなんですね!?

仕事を受けた時にすぐにアウトプットっていうことはしなくて、ちゃんと構想を練る機会を僕らだけでなくって、クライアントと対話したり準備したりする時間をいただけかってことはすごく重要だと考えています。具体的にはアーキロジカルリサーチといってるんですが、考古学的にものをリサーチする手法があって、今から過去の方をどんどん振り返っていくんです。例えばユニオンさんだったら「ドアハンドルを初めて必要とした時代はいつで、そのとき一体誰が発明したのか」っていうのをまず最初に辿っていくんです。物の起源、一番最初に戻ってみて、扉自体はもしかしてそれより前にあったかと思われますが、どこかのタイミングでドアハンドルという開け閉めを便利にするものを誰かが考えて作ったというのを突き詰めていくと、たぶんメソポタミア文明のあそこらへんで~とか、ほぼ今ある多くのものが生まれたのがメソポタミアとかって言いますし、あのひとたちなのか!って。そこからいろいろ考えてこれからのドアハンドルをつくり続けていくと面白かったりするのかなって思います。またそこから鍵というものが生まれて…とかどんどん派生して考えることもできますし。そこから今の時代において、何を伝えるべきかって考えるとワクワクしてきて、さあどうやって伝えようかって流れになりますね。

そこまで考えたことなかったな(笑)。
考古学的な考え方がお好きなんですね。やっぱり古墳も同じくその考えを基にしているのですか!?

近代建築で未来の先を考えるってことについて一つの想いがありまして。今まさに国立競技場もそうですけど、あれも50年しか使ってない建築でして。それがもう壊され始めていて、そういうのが近代建築になってしまっていて、どれだけ労力をかけても50年しか必要とされなくなってきちゃったという意識が芽生えて。それまではもっとその場所にしかないもの、そこにすばらしい建築を建てるとか、これは当時誰々が作ったとかがフォーカスされていたと思いますが。建築を通して人がものを伝えていくっていう力があると思うので、近代建築はそれが難しい。この有名な人が作りましたとかってそれ以上のものはでてこないですね。なので、考古学的なことからなにかできないかなって思ってます。

100年残る家をつくってもらいたい

材料とかもこだわられるんですか。

材料はやっぱりすごく気にしますね。

それはやっぱり見に行かれるんですか。

基本的には僕自身オリジナルっていうものが建築の本質だと思っていまして、その場所だからこそのオリジナルでつくることを大切にします。既製品ではなくて。例えば日本で最初に携わった最初の住宅なんかは予算も限られていたので、小さな個人の物件なんですが、大磯という神奈川県の海と山のちょうど間にある場所なのですが、調べてみたら古代から、縄文人が住んでいたという痕跡がありまして。縄文人が住んでいたってことはやっぱり住みやすかったらしく、縄文から弥生から現代までずっと人が住んでいた場所だったので、古来から日本人は居間という過ごす場所と、寝間という寝る場所を使い分けていたっていうのがあったので、縄文時代の竪穴式住居と弥生時代の高床式住居を採用しました。ちょうど地面から60cm低く床をつくり、竪穴式住居ってのが、冬はあったかく夏は涼しいという。で、その土地を掘ったときに出てきた土を使って土壁にして床も土でできていて、2階は木の空間になって、日本は湿気が多いので木の高床式みたいな空間にして湿気に強いようにして、1階は土の中で暮らして、2階は木の竪穴式みたいな風通しのいい空間にしてですね。施主からしたら、私たち動物じゃないんだからって(笑)。

(笑)。いまも感謝されてるんですか。

施主さんから言われたのは「100年残る家を作ってもらいたい。」と。100年というのはイメージの中では、自分たちがいなくなっても次の子どもたち、そのまた子どもたちが使い続けて欲しい。そういう大磯っていうところに自分たちが住もうって決めたので、住む場所としていいと思いますね。すごくいいところなんです。

子どもたちが育って住み続けて、その後100年使うことができたら楽しいですね。

はい。そうなるとうれしいですね。

(終了のお知らせ)

ありがとうございました。

企画:宮本 尚幸、桑野 敬伍
撮影:宮西 範直
取材・文:桑野 敬伍

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